中高野街道(2)  2019年2月5日


鶴見3(大阪市)〜足代北1(東大阪市)

約4.8km / 1時間50分(写真撮影・記録・昼食休憩を含む)




寝屋川に架かる橋が見えてきました。





放出大橋から下流(西)を眺めています





放出辺りが最も街道らしかったと思います。





中高野街道の案内がありました。

かつて、この道は「剣(つるぎ)街道」とも呼ばれていたこと、それは「鶴見(つるみ)」という地名の元ではないかというようなことも書いてあります。




正因寺です。





六郷修堤碑(正因寺)は漢文で書かれています。読めたのは題字だけです。




すぐ横に、解説があったので助かりました。すべての漢文の碑は、こうあるべきです。

大橋房太郎が淀川、寝屋川改修とともに六郷井路(六郷川)の堤防を修理したことを表わしているようです。やがて、寝屋川との中仕切りの堤防が撤去されて、寝屋川とひとつの川になり、六郷井路(六郷川)は消滅したようです。




Jr放出駅近くになって、街道の右手に阿遅速雄神社が登場しました。




平安時代の「延喜式」に掲載された神社です。




発起人は大橋房太郎となっています。




諏訪神社は獅子舞で有名なところのようです。このあと、諏訪4丁目のコンビニで、昼食休憩なり。




おばあちゃんやポスターは見なくてよいですよ。「高井田西二丁目10」だけをご覧ください。

中高野街道が、高井田(東大阪市)と深江(大阪市)の境界線となっています。



ここから、道草をします(戻ってきます)。




何度か訪れたことのある深江村の風景です。




「段倉」と呼ばれるこの背の高い蔵は、水害の対抗処置として造られたようです。



少しなら水に浸かっても大丈夫なように造られています。




深江稲荷神社





深江稲荷神社の門前に並んで建っているもの

「深江菅笠ゆかりの地」碑(大阪市顕彰碑)
「摂津笠縫邑跡」碑(大阪府史跡)



菅田

菅笠の伝統を守るために、菅が栽培されています。




元の道に戻ってきました。商店街の名前は「ブラドーリふせ」です。府道159号線=中高野街道がアーケードのある商店街になっており、しばらく車は通れません。




商店街の中を少しだけ南下しましたが、ここでストップします。東西に横切っているのは「暗越奈良街道」です。暗越とは「暗峠を越える奈良街道」ですが、延長すると「伊勢街道」と呼ばれます。この道は大阪(玉造稲荷神社が起点)から歩いて来たことがあります。

今日もこの道を通って、千日前線「新深江」駅まで歩きます。




新深江といえば、KOKUYOです。KOKUYOは「国誉」から来たものです。黒田善太郎氏が(日本の国ではなくて)越中の国の誉れ(ほまれ)となるようにという思いを込めて、命名したものです。


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